武士が雇う使用人。身分によって、若党(わかとう。侍ともいう)、中間(ちゅうげん)、小者(こもの)などがあった。若党は使用人のうち武士身分の者をいい、2本の刀を差していた。中間は鑓(やり)や挟箱(はさみばこ)など主人の道具を持ち、小者は草履取りなどで、ともに武士身分ではない。たとえば300石の武士なら、侍、中間、小者など10人ほどの奉公人を召し抱えるべきことが規定されていた。武士が公務で町を歩くときは、必ず道具持ちの中間と草履取りの小者を連れた。町奉行所の同心は、30俵2人扶持の軽輩だが、小者2人を召し抱えていた。同心が町を歩く場合は、町奉行所で召し抱えている中間がこれに従った。中間、小者は格とそれに応じた任務の違いだが、小者が中間になり、さらに若党にまで取り立てられることもあった。映画『たそがれ清兵衛』では、わずか30俵取りの清兵衛が草履取りの小者を連れて登城するという正しい考証を行っていた。
武士(ぶし)
平安時代(794〜12世紀末)後期に生まれた、戦いを任務とする者。鎌倉時代以降、武士が政権を握ったため、支配階級として政治をも担当することになった。
町奉行所(まちぶぎょうしょ)
現代の東京都庁と警視庁に、下級裁判所の機能まで持たせたような役所で、北町奉行所と南町奉行所の2カ所であるが、元禄15年(1702)から享保4年(1719)までは中町奉行所もあった。
同心(どうしん)
町奉行所にて、さまざまな掛(かかり)に分かれた与力のもとに配属される役人。町奉行所には100〜120人ほどが勤務した。