岡引き(おかっぴき)との呼称もあるが、蔑称的に用いられていた。町奉行所の犯罪捜査は、同心のみで構成される三廻(さんまわり。隠密廻・定廻・臨時廻)が行ったが、南北町奉行所を合わせても30人にも満たない。しかし、同心が私的に抱える目明しや、その子分である下引き(したっぴき)が、常時、町を見回った。受け取る手当は、月に2分から1両であった。そのため、目明しは、人宿(ひとやど。江戸時代の人材斡旋[あっせん]業者)など、その立場を生かせる副業をもっていることが多い。また、奉行所の権威を振りかざして不正に事件関係者から金品を巻き上げることもあったという。岡引きとしては「銭形平次」が有名だが、実在の人物ではない。
町奉行所(まちぶぎょうしょ)
現代の東京都庁と警視庁に、下級裁判所の機能まで持たせたような役所で、北町奉行所と南町奉行所の2カ所であるが、元禄15年(1702)から享保4年(1719)までは中町奉行所もあった。
同心(どうしん)
町奉行所にて、さまざまな掛(かかり)に分かれた与力のもとに配属される役人。町奉行所には100〜120人ほどが勤務した。