木造の建物が密集する江戸は火災の多発都市だったため、幕府は火消組織の創設、運用に努めた。まず、江戸最初の大火といわれる桶町火事(寛永18年[1641])の2年後に、大名火消が設置された。それまで、江戸在府の大名を火事のたびに老中が奉書により召集していたのを組織化したものである。続いて、明暦の大火(明暦3年[1657])の翌年、旗本により定火消(じょうびけし)が編成された。小石川馬場火事(享保2年[1717])の翌年には、町奉行・大岡忠相(おおおかただすけ)により町火消が創設されている。当時は、水で火を消すのではなく、建物を壊して延焼を防ぐ破壊消防だった。そのため、大名火消、定火消、町火消それぞれが、火消し人足として鳶(とび)の者を抱えていた。彼らは、歌舞伎や浮世絵に描かれる江戸庶民のヒーローであった。特に、加賀藩・前田家の加賀鳶や、定火消お抱えの臥煙(がえん)が有名である。火事場の功名争いから、鳶の間で、喧嘩(けんか)が起こることも多かった。
老中(ろうじゅう)
通常、江戸幕府の政務を統轄する最高職で、若年寄の補佐を受け、日常政務を執行する。
旗本(はたもと)
1万石未満の将軍の直臣で、御目見得以上(将軍に拝謁できる)の者をいい、約5000人いた。
町奉行(まちぶぎょう)
町奉行所の長官で、寺社地と武家地を除く江戸の行政担当者。警察業務や司法業務を日常的に遂行し、消防や災害救助も行った。
浮世絵(うきよえ)
江戸庶民が生んだ風俗画で、版画がそのほとんどを占めた。