江戸幕府非公認の売春婦。江戸では公認の遊郭は吉原だが、岡場所の私娼も吉原名主の管轄下に置かれたため、半公認の存在だった。しかし、それ以外の私娼は、隠売女として摘発の対象となった。夜、堀端などにたたずむ夜鷹(よたか)をはじめ、髪を剃った僧体の比丘尼(びくに)、小規模な私娼窟で売春する地獄など、多様な形態があった。隠売女として摘発されると、吉原で3年間勤めさせられることになり、経営者は死罪や家財没収などの処罰を受けた。隠売女になる者もさまざまで、中には武家の妻女もいた。『元禄世間咄風聞集(げんろくせけんばなしふうぶんしゅう)』には、妻を夜鷹にして生計を立てていた浪人の姿が見え、文政11年(1828)には、町人の女房が近所の娘たちを集めて売春させ、摘発されている。
幕府(ばくふ)
武家の政府で、もともとは近衛大将や征夷大将軍の居所を指したが、鎌倉幕府以来、征夷大将軍に任じられた武家が政治を行う場所やその政府のことをいった。
吉原(よしわら)
元和3年(1617)にできた幕府公認の遊郭で、日本橋葺屋町の一部に、家康の許可を得て開設された。明暦3年(1657)8月、浅草寺裏に移転。
岡場所(おかばしょ)
江戸の私娼地で、江戸では吉原以外での売春は非公認であったが、実際には半公認で各所にあった。
夜鷹(よたか)
道端で客を誘う私娼。宝暦期(1751〜1764)には、鮫ケ橋(さめがはし。現・東京都新宿区)、本所(ほんじょ。現・東京都墨田区)、浅草堂前(あさくさどうまえ。現・東京都台東区)などに出没し、その数は4000人に及んだとされている。後には、両国が夜鷹の名所になった。
死罪(しざい)
死刑のこと。正確には、死罪は、斬首のうえ胴を様斬り(ためしぎり)に使用されるもので、単なる斬首は下手人と呼んだ。