御三家は、徳川家康の9男・義直を祖とする尾張家、10男・頼宣の紀伊家、11男・頼房の水戸家のことをいう。尾張家と紀伊家は大納言、水戸家は中納言にまで昇進し、大名の中で最も格式が高いとされた。「水戸黄門」として有名な徳川光圀(とくがわみつくに)は、水戸徳川家の2代目当主で、「黄門」は中納言の唐名(とうみょう。中国の官称になぞらえた官職の呼び方)である。御三卿(「卿」は異体字)とは、8代・吉宗の次男・宗武(むねたけ)を祖とする田安家、4男・宗尹(むねただ)の一橋家、9代・家重の次男・重好の清水家のことである。御三卿は、御三家とは異なり将軍家の家族の位置付けで、それぞれ賄領10万石と、江戸城の田安門、一橋門、清水門のそばに屋敷を与えられていた。家臣は旗本からの出向の者がほとんどを占めた。御三家、御三卿ともに、宗家の血筋が絶えたときに相続者を出す家とされた。8代・吉宗は紀伊家から、11代・家斉は一橋家から、14代・家茂は紀伊家から、15代将軍は水戸家から一橋家に養子に入っていた慶喜が継いでいる。
将軍(しょうぐん)
幕府の主権者で、形式的には朝廷から任命される。正確には征夷大将軍で、大臣を兼ね、正二位に叙された。
江戸城(えどじょう)
徳川家康が天正18年(1590)に江戸に入府した際に入った城郭で、将軍就任とともに本格的に建設に着手し、3代・家光のころまで断続的に工事を行った大城郭。
旗本(はたもと)
1万石未満の将軍の直臣で、御目見得以上(将軍に拝謁できる)の者をいい、約5000人いた。