関ヶ原の戦い(1600)以前から徳川家に仕えていた1万石以上の直臣。石高(こくだか)は、筆頭の井伊家が30万石だが、多くは10万石以下だった。井伊家は、大老を出す格式をもつ家柄で、江戸城では溜間(たまりのま。井伊家のほか、家門大名や老中経験者などが、特に命じられて、この間に詰めた)に詰めた。「古来御譜代(こらいごふだい)」つまり由緒があって尊重された譜代大名は、帝鑑間(ていかんのま)に控え席が与えられ、他の譜代大名は、雁間(かりのま)と菊間縁頬(きくのまえんがわ)に詰めた。雁間の大名は「詰衆(つめしゅう)」と呼ばれ、老中をはじめとする幕府中枢の役職を務める大名が多く出た。そのため、この部屋の大名は「御役家(おやくけ)」ともいった。譜代大名には、奏者番(そうしゃばん。江戸城での儀式や典礼を務める要職)から寺社奉行を兼任し、若年寄、大坂城代、京都所司代などを経て老中に昇進する出世コースがあった。江戸時代を通じて何人もの老中を出す家もあったが、1人しか老中を出さない家もあり、家格が高くても老中になれるとは限らなかった。
大老(たいろう)
江戸幕府の政務を統括する最高職で、非常置で置かれるときも1人。
江戸城(えどじょう)
徳川家康が天正18年(1590)に江戸に入府した際に入った城郭で、将軍就任とともに本格的に建設に着手し、3代・家光のころまで断続的に工事を行った大城郭。
老中(ろうじゅう)
通常、江戸幕府の政務を統轄する最高職で、若年寄の補佐を受け、日常政務を執行する。
幕府(ばくふ)
武家の政府で、もともとは近衛大将や征夷大将軍の居所を指したが、鎌倉幕府以来、征夷大将軍に任じられた武家が政治を行う場所やその政府のことをいった。
大名(だいみょう)
将軍の直臣のうち、1万石以上の知行(ちぎょう。幕府や藩が家臣に与える、領地から年貢などを徴収する権利)を与えられた武士。
寺社奉行(じしゃぶぎょう)
全国の宗教統制や寺社領の管理などを行う役職で、奏者番(武家に関する儀式や典礼を務める要職)の上位者が兼任する。
若年寄(わかどしより)
江戸幕府において、老中の補佐を勤めた役職。
大坂城代(おおさかじょうだい)
大坂城を守備する幕府の西国の軍事責任者。
京都所司代(きょうとしょしだい)
幕府の京都における出先機関の長官で、譜代大名が任じられた。朝廷を監視し、京都の民政・司法を担当し、西国支配の責任者でもある。