関ヶ原の戦い(1600)の後に、徳川家に仕えるようになった1万石以上の直臣。領地の大きい大名が多く、その筆頭は「加賀百万石」といわれる前田家(加賀金沢)である。次いで、島津家(薩摩鹿児島)、伊達家(奥州仙台)が続く。これらの大名は石高(こくだか)が多く、御三家筆頭の尾張家をも上回っている。外様大名のうち、位階が従四位下以上の大名は大広間、従五位下の大名は柳間(やなぎのま)を控え席とした。大広間席の大名の中心は国持大名(くにもちだいみょう)で、一国以上、あるいはそれに準ずる領地をもった。控え席は、筆頭の前田家だけは、大廊下に面した部屋が与えられた。島津家も、重豪(しげひで)の娘・茂姫(しげひめ)が11代将軍・家斉(いえなり)の正室になってから、大廊下沿いの部屋を控え席とされた。国持大名は、参議、中将、少将などの官位に叙任され、高い格式を許されたが、幕府政治に参加することはなかった。
御三家(ごさんけ)
徳川家康の9男・義直を祖とする尾張家、10男・頼宣の紀伊家、11男・頼房の水戸家のこと。
将軍(しょうぐん)
幕府の主権者で、形式的には朝廷から任命される。正確には征夷大将軍で、大臣を兼ね、正二位に叙された。