諸大名が江戸に置いた出先機関。藩邸の土地は幕府が与え、建物は大名が建設する。これを拝領屋敷(はいりょうやしき)といい、通常、上・中・下の3カ所を拝領した。通常、上屋敷(かみやしき)が藩主の本邸、中屋敷(なかやしき)は隠居した藩主の邸宅、下屋敷(しもやしき)は広大な庭園を持つ別荘であった。屋敷内は、御殿と長屋に分かれ、御殿では広間や書院など儀式を行う部屋、藩主の居室群、正室や女中の居所である奥などがあり、長屋では江戸詰藩士が暮らした。このほか、大名は、火事などのときに避難する用心屋敷(ようじんやしき)や物資を保管する蔵屋敷を持った。これらを抱屋敷(かかえやしき)といい、出入りの町人の名義で購入した。萩藩毛利家や薩摩藩島津家のように、上屋敷が手狭なため中屋敷や下屋敷を藩主の本邸にすることもあり、この場合は、「居屋敷(いやしき)」として幕府に届けた。拝領屋敷の売買は禁止されていたが、交換は許されており、内々に代価を支払い、藩邸の一部を他の大名や旗本の屋敷と交換する形での実質的な売買も行われた。これを「切坪相対替(きりつぼあいたいがえ)」という。
大名(だいみょう)
将軍の直臣のうち、1万石以上の知行(ちぎょう。幕府や藩が家臣に与える、領地から年貢などを徴収する権利)を与えられた武士。
幕府(ばくふ)
武家の政府で、もともとは近衛大将や征夷大将軍の居所を指したが、鎌倉幕府以来、征夷大将軍に任じられた武家が政治を行う場所やその政府のことをいった。
藩(はん)
将軍から1万石以上の石高(こくだか)を与えられた大名が治める、それぞれの地域に設けられた政治機構。
旗本(はたもと)
1万石未満の将軍の直臣で、御目見得以上(将軍に拝謁できる)の者をいい、約5000人いた。