徳川家康は、天正18年(1590年)に江戸に入府し、太田道灌(おおたどうかん)の築いた江戸城に入った。将軍に就任すると、諸大名を動員して本格的に江戸城建設に着手する。工事は、3代・家光のころまで断続的に行われた。その範囲は、現在は「外堀通り」となっている外堀までという大城郭だった。本丸を中心に、西の丸、二の丸、三の丸、北の丸などがあった。当初は、本丸に、金の鯱(しゃちほこ)を載せた銅瓦葺(どうかわらぶき)の屋根に黒漆塗りの板壁という華麗な5層の天守閣があったが、明暦3年(1657年)の大火で焼失してからは、再建されなかった。時代劇では、江戸城の代わりに姫路城天守閣が使われることがあるが、実は明暦3年以降、江戸城天守閣はなかったのである。本丸は、儀式を行う大広間や書院、幕府諸役人の執務室がある「表(おもて)」、将軍の生活・執務の場である「中奥(なかおく)」、御台所が住み、大奥女中たちが勤務・生活する「大奥」の三つの部分から成り立っている。大奥と中奥は銅塀で仕切られており、御鈴廊下(おすずのろうか)でつながっていた。
将軍(しょうぐん)
幕府の主権者で、形式的には朝廷から任命される。正確には征夷大将軍で、大臣を兼ね、正二位に叙された。
大名(だいみょう)
将軍の直臣のうち、1万石以上の知行(ちぎょう。幕府や藩が家臣に与える、領地から年貢などを徴収する権利)を与えられた武士。
幕府(ばくふ)
武家の政府で、もともとは近衛大将や征夷大将軍の居所を指したが、鎌倉幕府以来、征夷大将軍に任じられた武家が政治を行う場所やその政府のことをいった。
御台所(みだいどころ)
将軍の正室で、公家の最高の家柄である五摂家か世襲親王家から娶(めと)ったが、例外もあった。
大奥女中(おおおくじょちゅう)
大奥に勤務する女中で、御年寄をはじめとして多くの役職があった。
大奥(おおおく)
江戸城内にあった将軍の正室や側室の住居。