幕府の主権者で、形式的には朝廷から任命される。正確には征夷大将軍(せいいたいしょうぐん)で、正二位に叙され、内大臣(ないだいじん)、源氏長者(げんじのちょうじゃ)、淳和院別当(じゅんないんべっとう)、奨学院別当(しょうがくいんべっとう)、右馬寮御監(うめりょうぎょかん)などにも任じられる。将軍を決めるのは幕府だったが、朝廷内では陣儀(じんのぎ)と呼ばれる儀式を行って将軍宣下(せんげ)を行い、勅使(ちょくし)を派遣してそれを伝えた。幕府でも、新将軍を上様(うえさま)と称し、将軍宣下ののちに公方様(くぼうさま)と称したから、それなりに朝廷の手続きを尊重していたと見ることもできる。宗家の血統が絶えたときは、御三家や御三卿(「卿」は異体字)から相続する。跡継ぎを選ぶのは現将軍であるが、それが行えなかった7代・家継の死後、8代目は6代将軍正室の天英院(てんえいいん)の意思が決め手になった。15代・慶喜は、家茂の死後、宗家相続を要請され、宗家は相続するが、将軍位には就かないと返答している。この時期には、宗家を相続しても、将軍とならない選択肢もありうると考えていたことがわかるが、結局は将軍位にも就いたから、両者は不即不離の関係にあったともいえる。
幕府(ばくふ)
武家の政府で、もともとは近衛大将や征夷大将軍の居所を指したが、鎌倉幕府以来、征夷大将軍に任じられた武家が政治を行う場所やその政府のことをいった。
朝廷(ちょうてい)
天皇が政治を行った政府。数々の儀式や祭祀も行った。
御三家(ごさんけ)
徳川家康の9男・義直を祖とする尾張家、10男・頼宣の紀伊家、11男・頼房の水戸家のこと。
御三卿(ごさんきょう)
徳川吉宗、家重の子によって創設された三家。将軍家の家族の位置付けで、それぞれ賄領10万石と、江戸城の田安門・一橋門・清水門のそばに屋敷を与えられた。(注:「卿」は異体字)