幕府の京都における出先機関の長官で、譜代大名が任じられた。朝廷を監視し、京都の民政・司法を担当し、西国支配の責任者でもある。江戸幕府初期は、家康の側近だった板倉勝重(いたくらかつしげ)が任じられ、その子・重宗(しげむね)が後を継いだ。重宗の後は将軍側近の牧野親成(まきのちかしげ)が14年間務めるなど、老中に匹敵する重職だった。寛文8年(1668)、京都町奉行が設置されて旗本が任じられ、京都の民政・司法は京都町奉行の担当となった。その後の京都所司代は、寺社奉行や大坂城代から昇進する官僚制的な役職となり、老中や西丸老中(にしのまるろうじゅう)に昇進した。そのころの主な職務は朝廷の統制である。朝廷からの細々した要望は、旗本が任じられた禁裏付(きんりづき。天皇の御用を務める役)が承った。朝廷への窓口は、大納言クラスの公家が任じられる武家伝奏で、京都所司代は京都町奉行や禁裏付を指揮するとともに、江戸の老中との連絡にあたった。文久2年(1862)、会津藩主・松平容保(まつだいらかたもり)が京都守護職に任じられると、さしたる軍事力をもたない京都所司代はその指揮下に入った。
幕府(ばくふ)
武家の政府で、もともとは近衛大将や征夷大将軍の居所を指したが、鎌倉幕府以来、征夷大将軍に任じられた武家が政治を行う場所やその政府のことをいった。
譜代大名(ふだいだいみょう)
関ヶ原の戦い以前から徳川家に仕えていた1万石以上の直臣。石高(こくだか)は、筆頭の井伊家が30万石だが、多くは10万石以下だった。
朝廷(ちょうてい)
天皇が政治を行った政府。数々の儀式や祭祀も行った。
将軍(しょうぐん)
幕府の主権者で、形式的には朝廷から任命される。正確には征夷大将軍で、大臣を兼ね、正二位に叙された。
老中(ろうじゅう)
通常、江戸幕府の政務を統轄する最高職で、若年寄の補佐を受け、日常政務を執行する。
町奉行(まちぶぎょう)
町奉行所の長官で、寺社地と武家地を除く江戸の行政担当者。警察業務や司法業務を日常的に遂行し、消防や災害救助も行った。
旗本(はたもと)
1万石未満の将軍の直臣で、御目見得以上(将軍に拝謁できる)の者をいい、約5000人いた。
寺社奉行(じしゃぶぎょう)
全国の宗教統制や寺社領の管理などを行う役職で、奏者番(武家に関する儀式や典礼を務める要職)の上位者が兼任する。
大坂城代(おおさかじょうだい)
大坂城を守備する幕府の西国の軍事責任者。
公家(くげ)
朝廷に仕える貴族や五位以上の官職にある官人。最高位の家柄は摂家。次いで、清華家(せいがけ)、大臣家(だいじんけ)などと続く。各大臣の下、文官で大納言、中納言、参議、武官で大将、中将、少将などの官職についた。