町奉行所の長官。寺社地と武家地を除く江戸の行政担当者で、町触(まちぶれ)と呼ばれる法令を出し、警察業務、および司法業務を日常的に遂行し、消防や災害救助も行った。南北各1人で、月番で務めた。従五位下の位階に任じられる諸大夫役(しょだいぶやく)で、役高3000石。任期はないが、2~3年から5~6年という者が多い。両番家筋の旗本が昇進する最高の顕職であった。8代将軍・吉宗時代の町奉行・大岡越前守忠相(おおおかえちぜんのかみただすけ)は、20年間も町奉行を務め、物価対策、町火消(火消)や小石川養生所の設置などを行い、1万石に加増され、寺社奉行にまで昇進した。ただし、歌舞伎や講談、時代劇に描かれる名裁判は、別の奉行が担当した訴訟や中国の故事を元にしたフィクションがほとんどである。たとえば、「天一坊大岡政談(てんいちぼうおおおかせいだん)」は、享保14年(1729)の源氏坊事件をモデルにしたものだが、実際は勘定奉行・稲生下野守正武(いのうしもつけのかみまさたけ)が裁いている。また、「遠山の金さん」として知られる遠山左衛門尉景元(とおやまさえもんのじょうかげもと)の桜吹雪の刺青(しせい)は有名だが、実際は女の生首の刺青で、景元は若気の至りで刺青を入れたことを恥じ、人に見せなかったといわれる。遠山は、将軍に裁判の手腕を称えられたことや、天保の改革(1841~43)で倹約を推し進めようとした老中・水野忠邦と対立してまで江戸庶民の暮らしを守ろうとしたことで、名奉行の評判を得た。
町奉行所(まちぶぎょうしょ)
現代の東京都庁と警視庁に、下級裁判所の機能まで持たせたような役所で、北町奉行所と南町奉行所の2カ所であるが、元禄15年(1702)から享保4年(1719)までは中町奉行所もあった。
両番家筋(りょうばんいえすじ)
将軍の親衛隊である書院番か小姓組に配属される家柄の者。
旗本(はたもと)
1万石未満の将軍の直臣で、御目見得以上(将軍に拝謁できる)の者をいい、約5000人いた。
将軍(しょうぐん)
幕府の主権者で、形式的には朝廷から任命される。正確には征夷大将軍で、大臣を兼ね、正二位に叙された。
町奉行(まちぶぎょう)
町奉行所の長官で、寺社地と武家地を除く江戸の行政担当者。警察業務や司法業務を日常的に遂行し、消防や災害救助も行った。
火消(ひけし)
火災の多発都市であった江戸において、幕府が運用に務めた組織で、大名火消、定火消、町火消が創設された。
小石川養生所(こいしかわようじょうじょ)
江戸・小石川(現・文京区)にあった、幕府による貧民を対象とする病院。
寺社奉行(じしゃぶぎょう)
全国の宗教統制や寺社領の管理などを行う役職で、奏者番(武家に関する儀式や典礼を務める要職)の上位者が兼任する。
勘定奉行(かんじょうぶぎょう)
勘定所の長官で、幕府財政を担当するとともに、幕府直轄領の民政、徴税、司法にもあたり、定員は4人。
老中(ろうじゅう)
通常、江戸幕府の政務を統轄する最高職で、若年寄の補佐を受け、日常政務を執行する。