勘定所の長官。幕府財政を担当するとともに、幕府直轄領の民政、徴税、司法にもあたる。定員は4人で、2人が勝手方(財政担当)、2人が公事方(くじかた。訴訟担当)であった。また、うち勝手方1人は、大目付1人とともに道中奉行を兼任した。両番家筋の旗本が多く昇進したが、まれに勘定所勤務のベテランが勘定吟味役を経て昇進することもあった。従五位下の位階に任じられる諸大夫役(しょだいぶやく)、役高は3000石で町奉行・大目付に並び、ほかに役料700俵、手当金300両が給された。勘定所には、部下として勘定組頭十余人、御勘定200人がおり、さらに御目見得以下の支配勘定もいた。御勘定は、御殿詰(ごてんづめ)、勝手方、取箇方(とりかがた)、伺方(うかがいかた)、帳面方、道中方、評定所留役(ひょうじょうじょとめやく)などの諸課に分かれて勤務した。このほか、全国の幕府直轄地の民政や徴税などにあたる郡代や代官のほか、金奉行(かねぶぎょう)、蔵奉行、林奉行、漆奉行、油奉行、川船奉行などが支配下にあった。
幕府(ばくふ)
武家の政府で、もともとは近衛大将や征夷大将軍の居所を指したが、鎌倉幕府以来、征夷大将軍に任じられた武家が政治を行う場所やその政府のことをいった。
大目付(おおめつけ)
諸大名の監察を行う幕府の役職で、寛永9年(1632)幕府諸役人の動静を探ることを任務とした、将軍直属の総目付(そうめつけ)を起源とする。寛文2年(1662)からは老中支配になり、次第に旗本の名誉職的役職になった。
両番家筋(りょうばんいえすじ)
将軍の親衛隊である書院番か小姓組に配属される家柄の者。
旗本(はたもと)
1万石未満の将軍の直臣で、御目見得以上(将軍に拝謁できる)の者をいい、約5000人いた。
町奉行(まちぶぎょう)
町奉行所の長官で、寺社地と武家地を除く江戸の行政担当者。警察業務や司法業務を日常的に遂行し、消防や災害救助も行った。
大目付(おおめつけ)
幕臣の監察にあたる役職を目付といい、大目付は大名の監察にあたる役職で、町奉行や勘定奉行を勤めた旗本が任じられた。
御目見得以下(おめみえいか)
1万石未満の将軍の直臣で、将軍に拝謁することができない格式であり、御家人とも呼ばれた。
郡代(ぐんだい)
支配領域が広大である、関東・美濃・飛騨・西国筋の4カ所の代官についての呼び名。
代官(だいかん)
幕府直轄地の行政官で、民政・徴税・裁判などを担当する。勘定奉行支配で、おおむね5万石程度の幕領を支配する。