幕臣の監察にあたる役職。両番家筋の旗本の昇進コースで、定員は10人、役高1000石の布衣役(ほいやく)である。江戸城の目付部屋に詰め、老中から幕政の諮問にあずかり、老中の指示のもと幕臣の身辺の調査も行った。配下に、御目見得以下の徒目付(かちめつけ)、小人目付(こびとめつけ)があった。旗本が布衣役に昇進するときも、目付が、学問はあるか、身辺はどうか、家は治まっているかなどを調査したという。謹厳実直をもって旨とし、江戸城に登城するときも威儀を正し、道は直角に曲がったという。火付盗賊改(ひつけとうぞくあらため)として有名な鬼平こと長谷川平蔵が町奉行の候補となったとき、平蔵は目付を務めていないから町奉行にはできないという幕閣の意見があったという。実際には目付を経験していない町奉行もいたが、幕府役職のキャリアパスとしての目付の役職はそれほど重いものだった。目付になるには、先任の目付の投票が必要で、目付になると、上席の目付でさえ追い落とすことがあったという。大目付は、大名の監察にあたる役職で、町奉行や勘定奉行を勤めた旗本が任じられた。目付の上に位置するが、実際の支配関係はなかった。
両番家筋(りょうばんいえすじ)
将軍の親衛隊である書院番か小姓組に配属される家柄の者。
旗本(はたもと)
1万石未満の将軍の直臣で、御目見得以上(将軍に拝謁できる)の者をいい、約5000人いた。
布衣役(ほいやく)
旗本の中で、従六位相当にあり、幕府から布衣の着用を許された者。布衣は典礼・式典のような公式行事の場で着用する無紋の礼装のこと。
江戸城(えどじょう)
徳川家康が天正18年(1590)に江戸に入府した際に入った城郭で、将軍就任とともに本格的に建設に着手し、3代・家光のころまで断続的に工事を行った大城郭。
老中(ろうじゅう)
通常、江戸幕府の政務を統轄する最高職で、若年寄の補佐を受け、日常政務を執行する。
御目見得以下(おめみえいか)
1万石未満の将軍の直臣で、将軍に拝謁することができない格式であり、御家人とも呼ばれた。
徒目付(かちめつけ)
老中が使う諜報組織である目付の配下。その下に小人目付(こびとめつけ)がある。将軍に謁見できない御目見得以下(御家人)では最高の職となる。
小人目付(こびとめつけ)
老中が使う諜報組織である目付の配下。徒目付(かちめつけ)の下の役職となり、中間(ちゅうげん)などの武士身分でない者の中から命じられた。
町奉行(まちぶぎょう)
町奉行所の長官で、寺社地と武家地を除く江戸の行政担当者。警察業務や司法業務を日常的に遂行し、消防や災害救助も行った。
幕府(ばくふ)
武家の政府で、もともとは近衛大将や征夷大将軍の居所を指したが、鎌倉幕府以来、征夷大将軍に任じられた武家が政治を行う場所やその政府のことをいった。
勘定奉行(かんじょうぶぎょう)
勘定所の長官で、幕府財政を担当するとともに、幕府直轄領の民政、徴税、司法にもあたり、定員は4人。