幕府直轄地の行政官で、民政・徴税・裁判などを担当する。勘定奉行支配で、おおむね5万石程度の幕領を支配する。関東・美濃・飛騨・西国筋(九州)の4カ所は、支配領域が広大であるため、郡代(ぐんだい)と呼ばれた。郡代は、関東は伊奈氏の世襲で役高3960石と別格だが、他は役高400俵、布衣役だった。代官は役高150俵だが、1万石につき120両から150両ほどの役料が与えられた。これは行政経費に充当された。江戸幕府前期は、大半が世襲の代官で、全国に70~80人もいたが、徴税の不正行為で処罰される者も多かった。そのため、次第に御勘定などの勘定所系役人が代官に起用されるようになり、人数も中期以降は40人ほどになった。任地には陣屋(じんや。代官所のこと)があり、代官は御家人から選んだ手付(てつき)を連れて赴任し、有力農民や町人を手代(てだい)に登用して、領地の支配にあたった。手代の中には能力が認められ、手付になり、勘定所の役人に昇進する者もあった。
幕府(ばくふ)
武家の政府で、もともとは近衛大将や征夷大将軍の居所を指したが、鎌倉幕府以来、征夷大将軍に任じられた武家が政治を行う場所やその政府のことをいった。
勘定奉行(かんじょうぶぎょう)
勘定所の長官で、幕府財政を担当するとともに、幕府直轄領の民政、徴税、司法にもあたり、定員は4人。
御家人(ごけにん)
1万石未満の将軍の直臣で、御目見得以下(将軍に拝謁できない)の者をいい、約1万6000人いた。