江戸時代、金貨を収納する箱を千両箱と呼んだ。実際には、1000両だけではなく、500両入り、2000両入りのものもあり、小判を収納する箱、二分金や一分金を収納する箱もあったので、形はまちまちだった。ただし、通常、1箱に1000両を入れるものが多いことから、金貨の収納箱を俗に千両箱と呼ぶようになったのである。箱の材質は、松や樫(かし)など堅い木製で、周辺や中央に鉄製の枠や帯金を付け、すべて錠が付いていた。小判1両は、元は4.76匁(約18g)であるが、元文小判だと3.5匁(約13g)になるから、1000枚として13kg、箱の自重を加えると17kgほどになる。この重さでは、テレビの時代劇などでよく見られるように、千両箱を小脇に抱えて屋根から屋根に飛び移ることは困難だっただろう。江戸時代の盗賊・鼠小僧次郎吉は、武家屋敷に忍び込むと、縁の下などに隠れ、女中のいる奥向きの箪笥(たんす)などから、20両、50両と金子(きんす)を盗みとっていた。ただし、中には幕府の金蔵に侵入し、2000両入りの千両箱2箱を盗み出した盗賊もいる。
幕府(ばくふ)
武家の政府で、もともとは近衛大将や征夷大将軍の居所を指したが、鎌倉幕府以来、征夷大将軍に任じられた武家が政治を行う場所やその政府のことをいった。