江戸幕府は、金貨、銀貨、銅貨の三貨制度をとっていたので、金貨と銀貨、あるいは金貨・銀貨と銅貨の交換を行う両替商が必要とされた。江戸時代初期の両替商は、金座や銀座の近くに店を構え、地方貨幣と幕府鋳造の貨幣の交換を行い、江戸の貨幣の統一を促進した。「江戸の金遣い」「大坂の銀遣い」といって、東国は金貨、大坂は銀貨が流通していたので、江戸と上方(かみがた 京都~大坂地方)の商品取引の決済にあたっては、金貨と銀貨の交換比率が問題となった。幕府は、金1両=銀50匁=銭4貫文の公定レートを定めたが、実際は交換比率が変動した。資力のある両替商は、相場を見合わせて金銀貨の交換を行い、為替や貸し付けなどの金融業務も行った。これを本両替(ほんりょうがえ)という。このほか、金銀貨と銭の交換を行う脇両替(わきりょうがえ)があった。橋のたもとなどで店をひろげ、旅行者の少額の金銀貨を銭に替える零細な業者もいた。本両替は、元禄(1688~1704)のころ、大名貸しに深入りして没落し、鴻池や三井など新興の商人が興した両替商が中心となった。
幕府(ばくふ)
武家の政府で、もともとは近衛大将や征夷大将軍の居所を指したが、鎌倉幕府以来、征夷大将軍に任じられた武家が政治を行う場所やその政府のことをいった。
三貨(さんか)
江戸時代に通用した、金貨、銀貨、銅貨の3種の貨幣。
金座(きんざ)
勘定奉行のもと、貨幣の製造や管理を行った機関で、両替町こと、現日本橋の本石町にあった。
為替(かわせ)
現代では手形や小切手や証書などを現金の代わりに用い、決済をする手段であるが、江戸時代にも流通ネットワークを利用するにあたって、同じことが行われていた。飛脚問屋がその業務を行っていた。