徳川家康の死因は、鯛の天麩羅の食べ過ぎとされる。これは鯛を胡麻油で揚げたもので、当時京都ではやっていたらしい。その後、天麩羅は、あまり食べられなくなったようで、将軍家はもちろん、大名も食べない。天明(1781~89)のころから、江戸にさまざまな屋台の店ができ、その中に天麩羅もあった。これは、江戸前でとれるアナゴ、芝海老、貝柱、はぜ、イカなどの魚介類に、小麦粉を水でといた衣を付け、胡麻油か菜種油で揚げたものである。値段は、一つ4文ほどで、串にさして食べさせた。屋台だったのは、火事が恐かったからだろう。客は、江戸の庶民が中心で、安くて早く、さらにカロリーが高く腹持ちがいい天麩羅は、江戸っ子には最適のファストフードであった。高級魚を使い、店をかまえた天麩羅屋が出現するのは、江戸時代も末期のことである。
将軍(しょうぐん)
幕府の主権者で、形式的には朝廷から任命される。正確には征夷大将軍で、大臣を兼ね、正二位に叙された。
大名(だいみょう)
将軍の直臣のうち、1万石以上の知行(ちぎょう。幕府や藩が家臣に与える、領地から年貢などを徴収する権利)を与えられた武士。