江戸前期から中期の俳人・山口素堂の「目には青葉 山ほととぎす 初鰹(鰹は松魚と表記)」という俳句で有名な初鰹は、春に初めて水揚げされる時期には、特に江戸の庶民の人気を集めた。女房・娘を質に置いても初鰹を買い求める風潮があったという。安永・天明(1772~89)のころは、魚屋が持って来るのを待つと味が落ちるとして、品川沖に舟を出し、鰹を積んだ舟に近寄って、金1両を投げこんで鰹1本を求め、それを食べるのが通だったという。昨今の成田空港でのボジョレー・ヌーボー騒ぎのようなものである。そのころは1両ほどだったが、文化年間(1804~18)には2~3両ほどもしたらしい。鰹は「勝負に勝つ」という語呂から武士にも人気で、将軍家へも献上された。しかし、嘉永期(1848~54)以降は次第に熱狂が醒め、安い年は金2分、それ以降は金1分ほどに下がった。
将軍(しょうぐん)
幕府の主権者で、形式的には朝廷から任命される。正確には征夷大将軍で、大臣を兼ね、正二位に叙された。