江戸時代の天皇は、豊臣秀吉が擁立した後陽成天皇(ごようぜいてんのう)に始まり、後水尾(ごみずのお)、明正(めいしょう)、後光明(ごこうみょう)、後西(ごさい)、霊元(れいげん)、東山(ひがしやま)、中御門(なかみかど)、桜町(さくらまち)、桃園(ももぞの)、後桜町(ごさくらまち)、後桃園(ごももぞの)、光格(こうかく)、仁孝(にんこう)、孝明(こうめい)、明治(めいじ)の16人である。明治天皇は、孝明天皇の急死をうけ、慶応3年(1867)正月9日、19歳で践祚(せんそ。天皇の位を継承すること)した。このうち、明正と後桜町の2人が女帝である。明正天皇は、後水尾天皇と徳川秀忠の娘・和子(まさこ)との間にできた娘で、天皇が高僧に与えた紫衣を幕府が剥奪した紫衣事件(しえじけん。寛永4年[1627])により、後水尾天皇が突然に譲位したため即位することになった。また、後桜町天皇も、桃園天皇が急死して後継者になるべき皇子がいなかったため即位した。結婚することのなかった女帝は、中継ぎの役割でしかなかった。天皇の任務は、朝廷における数々の儀式や祭祀を行い、公家や武家の官位叙任を裁可するというものだった。ちなみに、歴代天皇は、退位後院政を敷き、死後、後水尾院というように院号で呼ばれたが、復古的な御所の造営を実現した光格天皇のとき、900年ぶりに天皇号を贈ることを復活させた。なお、在位時の天皇は、「主上(しゅじょう)」と呼ばれた。
朝廷(ちょうてい)
天皇が政治を行った政府。数々の儀式や祭祀も行った。
公家(くげ)
朝廷に仕える貴族や五位以上の官職にある官人。最高位の家柄は摂家。次いで、清華家(せいがけ)、大臣家(だいじんけ)などと続く。各大臣の下、文官で大納言、中納言、参議、武官で大将、中将、少将などの官職についた。