天皇には多くの女官が付属しており、この女官の中に天皇の側室(正室[正妻]以外の妻)もいた。側室となれる女官の位は、典侍(すけ)、掌侍(ないし)、命婦(みょうぶ)である。典侍は7人で、羽林家(うりんけ)・名家(めいけ)の中で上の部の公家の娘である。典侍の頭が大典侍(おおすけ)で、新大典侍、権中納言典侍(ごんちゅうなごんのすけ)、宰相典侍(さいしょうのすけ)と続く。掌侍は4人で、筆頭は勾当内侍(こうとうのないし)で、長橋局(ながはしのつぼね)とも呼ばれる。長橋局は、女官の取り締まりや、外との交渉の事務一切を取り仕切り、女房奉書(にょうぼうほうしょ)も作成した。関白ですら天皇に何か奏上するときは長橋局を介するので、この地位にのぼれば、1年で1000両もの役得があったという。そのほかの掌侍は、小式部内侍(こしきぶのないし)、中将内侍(ちゅうじょうのないし)、右衛門内侍(うえもんのないし)などの名前をもらった。命婦は7人で、筆頭が伊予(いよ)、2番目が大御乳人(おおおちのひと)、以下は尾張などの国名を名前とした。命婦までは天皇の手が付くことがあり、皇子や皇女が誕生することがあった。しかし、命婦の身分では天皇から何か言われても、直接返答はできず、典侍や掌侍を介して返答したという。これら女官は、朝廷の役職でもあり、天皇の側室でもあった。いうなれば、「役目」として天皇の側室を勤めたともいえる。
公家(くげ)
朝廷に仕える貴族や五位以上の官職にある官人。最高位の家柄は摂家。次いで、清華家(せいがけ)、大臣家(だいじんけ)などと続く。各大臣の下、文官で大納言、中納言、参議、武官で大将、中将、少将などの官職についた。
女房奉書(にょうぼうほうしょ)
天皇の仰せを側近の女官(女房)が伝えた仮名書きの奉書、つまり天皇の意思を伝えた文書。
朝廷(ちょうてい)
天皇が政治を行った政府。数々の儀式や祭祀も行った。