君主に代わり政治を摂る役を担う摂政(せっしょう)や関白を出す家は、「摂家」あるいは「摂関家」と呼ばれ、合わせて五家ある。平安時代に天皇家の外戚となり、摂政・太政大臣として権勢を極めた藤原道長の子孫の系統である。この系統は、藤原氏の北家の中でも「御堂流(みどうりゅう)」と称される。御堂流は、院政期に、藤原忠通(ただみち)の子・基実(もとざね)と兼実(かねざね)が近衛(このえ)家と九条家の二家を創出し、鎌倉時代(12世紀後半~1333)中期に九条家から二条、一条の両家が分かれ、近衛家から鷹司(たかつかさ)家が分かれて五家体制が成立した。この中では、嫡流の近衛家の家格が最も高く、鷹司家がこれに次いだ。江戸時代の関白には、この五家の当主で、大臣となっていた者から適当な者が任命された。摂家から将軍の正室(将軍の正妻)となったのは、3代・家光の鷹司孝子、5代・綱吉の鷹司信子、6代・家宣の近衛熙子(ひろこ)、13代・家定の鷹司任子(ただこ)と一条秀子の4代5人で、島津家からの正室・茂姫(寔子・ただこ)と篤姫(敬子・すみこ)は、近衛家の養女となって徳川家に入輿(じゅよ)している。
関白(かんぱく)
天皇を補佐し、政務をつかさどる役職。幼帝時においては「摂政」といい、成人時にいたると「関白」といった。
将軍(しょうぐん)
幕府の主権者で、形式的には朝廷から任命される。正確には征夷大将軍で、大臣を兼ね、正二位に叙された。