公家最高の家柄は摂家で、それに清華家(せいがけ)、大臣家(だいじんけ)が次いだ。清華家は、三公(太政大臣、左大臣、右大臣)に任じられる格式ということで、久我(こが)、三条、西園寺、徳大寺、花山院(かざのいん)、大炊御門(おおいみかど)、菊亭、広幡(ひろはた)、醍醐の九家があった。広幡と醍醐の二家は、摂家から分かれて立てられた新家である。大臣家は、中院(なかのいん)、正親町三条(おおぎまちさんじょう)、三条西(さんじょうにし)の三家で、その家の最高の役職として大臣になれる。ただし、なれても内大臣で、任命されるとすぐ辞職する慣行だった。それ以外の公家を平堂上(ひらとうしょう)といった。その中で、三位以上の官位に叙せられ、参議以上の官職にある公家を公卿(くぎょう。「卿」は異体字)という。昇殿が許されるのは、五位以上の者で、四位と五位の平堂上のほか、六位の蔵人(くろうど)も昇殿を許される殿上人(てんじょうびと)である。朝廷に仕えるそれ以下の者は、地下官人(じげかんじん)と呼ばれた。公家というのは、武家に対する言い方で、殿上人以上を呼んだ。公家の官職には、大臣の下に、文官で大納言、中納言、参議、武官で大将、中将、少将などがあった。
摂家(せっけ)/摂関家(せっかんけ)
君主に代わり政治を摂る役を担う摂政(せっしょう)や関白を出す家で、「摂関家」とも呼ばれ、合わせて五家あった。
朝廷(ちょうてい)
天皇が政治を行った政府。数々の儀式や祭祀も行った。