阿国(おくに)という女性が始めた踊りで、歌舞伎の発祥とされる。徳川家康が江戸に幕府を開いた慶長8年(1603)ころ、かぶき踊りというものが流行し、その中で出雲大社の巫女(みこ)を称する阿国という女性が、京都で、当時はやっていた「かぶき者」のかっこうをまね、男装し、刀脇差を帯びて踊ることを始めた。阿国は美人ではなかったというが、男装して踊ることで、ことに人気を集めた。当時、宮中でも若い公家を中心に大脇差を差し、異形の格好をする「かぶき者」が跋扈(ばっこ)していた。こうした公家たちが、阿国を支持したのである。阿国は、天正年間(1573~92)、「ややこおどり」を踊る少女だったとする説がある。「ややこ」とは赤ん坊のことだが、10歳前後の少女2人が小歌に合わせて踊り、人気を得た。阿国の属する興行集団は、10人程度のものだったらしい。成長した阿国のかぶき踊りは、慶長10年(1605)前後には一世を風靡(ふうび)し、京都の北野に根拠を置き、天下一を号した。阿国は畿内から尾張といった近国でも興行を行うが、次第に遊女歌舞伎に人気を奪われた。慶長12年(1607)には江戸に下り、のち再び京都に帰って興行を行っている。
幕府(ばくふ)
武家の政府で、もともとは近衛大将や征夷大将軍の居所を指したが、鎌倉幕府以来、征夷大将軍に任じられた武家が政治を行う場所やその政府のことをいった。
かぶき者(かぶきもの)
江戸時代初期、特異なファッションで都市を横行した無頼の徒。主家を失った浪人や武士に使える武家奉公人が多く、無役の旗本などもいた。
公家(くげ)
朝廷に仕える貴族や五位以上の官職にある官人。最高位の家柄は摂家。次いで、清華家(せいがけ)、大臣家(だいじんけ)などと続く。各大臣の下、文官で大納言、中納言、参議、武官で大将、中将、少将などの官職についた。
遊女歌舞伎(ゆうじょかぶき)
歌舞伎の発祥とされる阿国歌舞伎(おくにかぶき)に続いておこった、遊女による集団での踊り。