室町時代(1336~1573)中期に成立した浄瑠璃と、人形遣いの芸が結び付いて成立した人形芝居。桃山時代(1582~1603)、琵琶法師の流れである京都の目貫屋長三郎(めぬきやちょうざぶろう)と、淡路の人形遣い・引田淡路掾(ひったあわじのじょう)が結び付いたことに始まるとされる。伴奏の楽器には、琉球からもたらされた蛇皮線(じゃびせん)を改良した三味線が取り入れられた。最初は、寺社境内や掛小屋芝居だったが、次第に常設劇場での興行となる。人形浄瑠璃が飛躍的に発展したのは、貞享3年(1686)、竹本義太夫が大坂の劇作家・近松門左衛門(ちかまつもんざえもん)の『出世景清(しゅっせかげきよ)』を竹本座で演じて以降のことで、近松は、その後も『国性爺合戦(こくせんやかっせん)』『曾根崎心中』などのヒット作を書き、義太夫が語って大人気を博した。このころの人形は一人遣いだったが、近松の死後に三人遣いが考案され、現代に至っている。宝暦(1751~64)のころには舞台装置に新しい工夫がなされ、黄金時代となり、歌舞伎をしのぐ人気を誇った。人形浄瑠璃のことを文楽というのは、安政3年(1856)、大坂の植村文楽が文楽座を開設し、多くの名人が出たためである。現在は、文楽協会によって、東京と大阪の国立劇場で興行されている。
浄瑠璃(じょうるり)
室町時代(1336〜1573)中期に成立した、三味線を伴奏楽器に、物語などを語る興行。