江戸時代の銭湯は、明け六つ(夜明け)から営業を開始する。朝早くから、博打場や遊廓に行っていた者が湯に入りにきて、混み始める。次第に、隠居の立場にある者や医者、坊主、下級武士らが入りにくる。想像以上に、午前中の客が多かったのである。一方、女湯の場合、女たちには食事の支度や掃除、洗濯などの家事があるので、朝入りにくる客はほとんどいない。この女湯に、町奉行所の与力や同心が入りにきた。男風呂から聞こえてくる会話やうわさ話から、犯罪のにおいをかぎ出すのだともいわれるが、実際は彼らの役得だったのだろう。八丁堀の銭湯には、女湯にも刀掛けがあって、八丁堀の七不思議とされるが、これは彼らの刀を掛けるものだった。与力らが入った後の朝風呂には、芸者や茶屋女、料理屋の仲居など、主に夜の仕事をする女性が入りにきた。
銭湯(せんとう)
有料の風呂屋のことで、関東では湯屋(ゆうや)、関西では風呂屋といわれる。
町奉行所(まちぶぎょうしょ)
現代の東京都庁と警視庁に、下級裁判所の機能まで持たせたような役所で、北町奉行所と南町奉行所の2カ所であるが、元禄15年(1702)から享保4年(1719)までは中町奉行所もあった。
与力(よりき)
町奉行所に勤務する役人で、年番方をはじめとしてさまざまな掛(かかり)に分かれ、それぞれに同心が配属された。
同心(どうしん)
町奉行所にて、さまざまな掛(かかり)に分かれた与力のもとに配属される役人。町奉行所には100〜120人ほどが勤務した。
芸者(げいしゃ)
宴席や酒席に呼ばれ、踊りや三味線などの芸を演じて座に興を添える者。最初は男女ともにいたが、男芸者は幇間(たいこもち)などと呼ばれ、やがて女性に限るようになった。