銭湯は生活のうえでも保健衛生の面でも庶民に不可欠なものだったので、幕府の統制のもと、湯銭は長く低価格に据え置かれた。当初、永楽通宝1文で始まった湯銭は、寛永(1624~44)のころ、大人6文、子供4文で、その価格が150年近く維持された。安永・天明(1772~89)のころ、大人8文、子供5文の料金が認可されたが、その後、また元にもどり、寛政6年(1794)に大人10文、子供6文になった。天保14年(1843)5月、老中・水野忠邦は、天保の改革の一環として湯屋仲間を解散させ、米や薪(まき)の値下げを強制したのにともない、湯銭も大人6文とさせた。水野が罷免(ひめん)されると、大人8文、子供4文への値上げが許可された。その後、この価格は維持されたが、幕末になると、12文、16文、24文と値上がりしていった。しかし、24文としても、当時の物価騰貴を考えれば、ずいぶんと安価だった。
銭湯(せんとう)
有料の風呂屋のことで、関東では湯屋(ゆうや)、関西では風呂屋といわれる。
幕府(ばくふ)
武家の政府で、もともとは近衛大将や征夷大将軍の居所を指したが、鎌倉幕府以来、征夷大将軍に任じられた武家が政治を行う場所やその政府のことをいった。
老中(ろうじゅう)
通常、江戸幕府の政務を統轄する最高職で、若年寄の補佐を受け、日常政務を執行する。