温泉は、病を治すための施設として発達した。江戸では、箱根が比較的近い湯治場として人気があった。徳川家康が湯治に訪れた熱海の湯、殺菌力が強く梅毒などの性病に効果があるとされた草津の湯などにも多くの客が集まった。温泉の方でも、効能を宣伝したり、それぞれの温泉宿が家の造作を贅沢にしたり、庭園を造るなど、工夫をこらして客を呼ぼうとした。湯治は、通常、三廻り(みめぐり)が一般的だった。一廻りは1週間で、計3週間である。湯治客は、その間、1日に数回ずつ温泉に浸かり、身体を治す。宿泊費は、一廻りで200文ぐらいと安価だが、布団代が一廻り250文、その他、温泉に行く駕籠代(かごだい)や食事代を含めると、三廻りで1両を超えるから、それなりに裕福でないと湯治には行けなかった。大名たちは、病にかかると、幕府の許可を得て箱根などに湯治に赴いた。大名の湯治は、たとえば箱根の塔之沢(とうのさわ)全体を留湯(とめゆ。貸し切り)とするという方式で、多くの家臣も連れていったから、ずいぶんと金がかかった。代々の将軍も、湯治のため、箱根から樽詰めの湯を「献上湯」として江戸城に送らせた。
駕籠(かご)
上部に棒を通した箱状の乗り物で、2人以上の担ぎ手が棒を担いで運搬する。竹を編んで作った乗り台を畳表状の覆いでかこった四手駕籠(よつでかご)が仕様の中心。
大名(だいみょう)
将軍の直臣のうち、1万石以上の知行(ちぎょう。幕府や藩が家臣に与える、領地から年貢などを徴収する権利)を与えられた武士。
幕府(ばくふ)
武家の政府で、もともとは近衛大将や征夷大将軍の居所を指したが、鎌倉幕府以来、征夷大将軍に任じられた武家が政治を行う場所やその政府のことをいった。
将軍(しょうぐん)
幕府の主権者で、形式的には朝廷から任命される。正確には征夷大将軍で、大臣を兼ね、正二位に叙された。
江戸城(えどじょう)
徳川家康が天正18年(1590)に江戸に入府した際に入った城郭で、将軍就任とともに本格的に建設に着手し、3代・家光のころまで断続的に工事を行った大城郭。