大名の領地は、大名直轄地と家臣への知行地(自分の領地)で構成される。直轄地は、大名が代官を派遣して年貢の収納を行わせ、家臣は知行地から年貢を徴収していた。もともと武士は、小なりといえども領地をもつ存在であり、知行地を経営することは中間(ちゅうげん)などの武家奉公人を調達するうえでも必要だった。ところが、江戸時代の前期、藩の財政が窮乏化すると、地方知行制(じかたちぎょうせい)から俸禄知行制(ほうろくちぎょうせい)への移行が進められた。つまり、藩が家臣の領地を一括して管理し、家臣へは俸禄米だけを支給するという方式への変化である。家臣から見ても、知行地経営にはコストがかかり、豊凶作にかかわらず決まった俸禄米を受け取る方が有利な面があった。俸禄知行制の場合、藩の領地を一括して管理する役人が必要で、これを担当したのが郡奉行である。郡奉行は中級藩士から選抜され、年貢徴収や民政を行った。郡奉行は通常数人で構成され、配下に代官があって、年貢収納の実務を行った。
大名(だいみょう)
将軍の直臣のうち、1万石以上の知行(ちぎょう。幕府や藩が家臣に与える、領地から年貢などを徴収する権利)を与えられた武士。
知行(ちぎょう)
幕府や藩が家臣に与える、領地から年貢などを徴収する制度。
代官(だいかん)
幕府直轄地の行政官で、民政・徴税・裁判などを担当する。勘定奉行支配で、おおむね5万石程度の幕領を支配する。
年貢(ねんぐ)
農民が領主に上納する負担で、近代の税金にあたる。土地の潜在的な収穫量である石高(こくだか)に対してかかり、物成(ものなり)、取箇(とりか)ともいう。
武士(ぶし)
平安時代(794〜12世紀末)後期に生まれた、戦いを任務とする者。鎌倉時代以降、武士が政権を握ったため、支配階級として政治をも担当することになった。
中間(ちゅうげん)
個々の武士が召し抱えた家来の中で、武士の身分ではない者。外出などの際に、武士に同行し、鑓持ち、鋏箱(はさみばこ)持ちなどをした。
武家奉公人(ぶけぼうこうにん)
武士が雇う使用人で、身分によって、若党、中間、小者などがあった。
藩(はん)
将軍から1万石以上の石高(こくだか)を与えられた大名が治める、それぞれの地域に設けられた政治機構。
俸禄(ほうろく)
藩が領地を管理して、家臣へ米を支給する制度。支給される米を俸禄米という。
代官(だいかん)
幕府直轄地の行政官で、民政・徴税・裁判などを担当する。勘定奉行支配で、おおむね5万石程度の幕領を支配する。