キリスト教の宣教師。ポルトガル語の「パードレ(padre[eの上に’]司祭)」が「伴天連」と表記され、それを日本語読みとしたもの。キリシタンの間では、「Pe」と書かれた。司祭に叙任されない修道士はイルマン(irmao[aの上に~])という。日本に来た宣教師が所属した修道会は、ポルトガル系のイエズス会のほか、スペイン系のフランシスコ会、ドミニコ会、アウグスチノ会だった。このうち、最大のものがフランシスコ・ザビエル(Francisco Xavier)以来布教に従事したイエズス会である。ポルトガル人、スペイン人のほか、国家として統一されていなかったイタリア人も多かった。天正15年(1587)、九州を平定した豊臣秀吉は、長崎の地がイエズス会に寄進されていることを知り、バテレン追放令を出した。このため、バテレンたちは、九州を中心に全国各地に潜伏することになった。イエズス会は秀吉を刺激しない方針をとったが、新たに布教に参入したスペイン系の修道会は活発な行動をとったので、慶長元年(1596)の「26聖人殉教」のような事件も起こった。江戸幕府成立後、禁教令がより強化され、バテレンや信者に多くの殉教者を出し、3代将軍・家光のころ、バテレンは日本から消滅した。
幕府(ばくふ)
武家の政府で、もともとは近衛大将や征夷大将軍の居所を指したが、鎌倉幕府以来、征夷大将軍に任じられた武家が政治を行う場所やその政府のことをいった。
将軍(しょうぐん)
幕府の主権者で、形式的には朝廷から任命される。正確には征夷大将軍で、大臣を兼ね、正二位に叙された。