江戸時代、長崎に設けられた人工の島で、外国人居留地とされた。日本では「でじま」とも「でしま」ともいうが、外国の記録では「でしま」である。元亀2年(1571)の開港以来、来航したヨーロッパ人は長崎の町に居住していたが、厳しい禁教令を敷いた江戸幕府3代将軍・家光の時代、長崎の町人に出島を築かせ、寛永13年(1636)、ここにポルトガル人を収容した。面積は4000坪弱で、家賃として銀80貫目を納入させた。寛永16年(1639)、ポルトガル人を追放した後は空き家となったが、同18年(1641)には平戸藩内に設けられていたオランダ商館を出島に移転させ、家賃55貫目を納入させ、オランダ貿易を幕府直轄とした。出島には、カピタン屋敷をはじめとするオランダ人の宿舎や庭園、家畜小屋のほか、オランダ通詞や貿易に従事する長崎町人の部屋もあった。オランダ人は、役人警護のもとでしか出島外に出ることは許されなかった。出島に入ることができるのも、長崎奉行所の役人のほか、通詞や特定の町人、および遊女に限られた。
幕府(ばくふ)
武家の政府で、もともとは近衛大将や征夷大将軍の居所を指したが、鎌倉幕府以来、征夷大将軍に任じられた武家が政治を行う場所やその政府のことをいった。
将軍(しょうぐん)
幕府の主権者で、形式的には朝廷から任命される。正確には征夷大将軍で、大臣を兼ね、正二位に叙された。
オランダ商館(おらんだしょうかん)
オランダ東インド会社の日本支店。慶長14年(1609)に長崎の平戸に設けられたが、寛永18年(1641)に長崎の出島に移転させられた。
カピタン(かぴたん)
オランダ東インド会社の日本支店であるオランダ商館の商館長。Capitao(aの上に~)。
通詞(つうじ)
江戸時代における通訳で、オランダ語の通訳をする者。中国語の通訳者は「通事」と表記された。