江戸時代には、ヨーロッパやアメリカの黒く塗られた船をいった。安土桃山時代(1568~1603)に来航したポルトガル軍船は、木造だった船体の腐食を防ぐため、黒いタールが塗られていたので、日本ではヨーロッパの大型船を黒船というようになった。ポルトガル人を追放したのち、正保4年(1647)に国交回復を願うポルトガルの軍船2隻が長崎に来貢したとき、幕府は緊張し、西国大名に多くの軍船を出させ、長崎湾を封鎖するなどの軍事行動を行った。この「正保4年黒船来航」は長く記憶にとどめられ、各種の絵図が残されている。嘉永6年(1853)には、アメリカ使節・マシュー・ペリー(Matthew Calbraith Perry)の艦隊4隻が、浦賀に来航。翌年には、7隻で江戸に姿を現した。ペリー艦隊は、やはり船体が黒く塗られていたため、「黒船」と呼ばれた。江戸の庶民は、巨大な黒船が煙を吐いて航行する光景を見て驚き、恐れた。これ以後、「黒船来航」といえば、ペリー艦隊来航のことになった。なお、最初に来航した艦隊のうち、蒸気船はペリーの旗艦「サスケハナ号(USS Susquehanna)」など2隻で、他は帆船だった。また、蒸気船も、普通に航行するときは、帆走することの方が多かった。
幕府(ばくふ)
武家の政府で、もともとは近衛大将や征夷大将軍の居所を指したが、鎌倉幕府以来、征夷大将軍に任じられた武家が政治を行う場所やその政府のことをいった。
大名(だいみょう)
将軍の直臣のうち、1万石以上の知行(ちぎょう。幕府や藩が家臣に与える、領地から年貢などを徴収する権利)を与えられた武士。