平安時代(794~12世紀末)後期に生まれた、戦いを任務とする者。武士は、馬上で弓を射るなどの武芸をたしなみ、武士団の構成員であった。武士は、戦いを担当する、いわば職能的身分だったが、鎌倉時代(12世紀後半~1333)以降、武士が政権を握ったため、支配階級として政治をも担当することになった。江戸時代の武士は、上は将軍や大名から、下は徒歩で従軍する徒士(かち)までを含んだ概念である。大小の刀を差すことがその身分的表象であり、通常は主君をもち、知行として領地を与えられ、あるいは俸禄として米を支給された。侍は、もともとは貴人に「さぶらう者(仕える者)」という意味で、貴族を護衛する兵士の呼称であったが、武士と同義に使われる。豊臣秀吉のいわゆる身分法令では、「侍」は最下層の武士身分で、上級の武士に召し抱えられる者の意味で使われているが、江戸時代初期には、大名でさえ自分のことを「侍」といっている者もおり、侍という言葉だけではその身分的位置を確定することはできない。江戸時代は身分制社会であり、武士身分と農民や町人らの身分の間には深い溝があったように思われているが、武士身分とそれ以外の身分の間の境界はあいまいで、農民の子弟が代官所に勤めて武士身分となったり、町人が御家人株を購入して幕臣の末端に入ったりすることは珍しくなく、その子供や孫の代には旗本などに成り上がって、幕府の顕職に就くこともあった。
将軍(しょうぐん)
幕府の主権者で、形式的には朝廷から任命される。正確には征夷大将軍で、大臣を兼ね、正二位に叙された。
大名(だいみょう)
将軍の直臣のうち、1万石以上の知行(ちぎょう。幕府や藩が家臣に与える、領地から年貢などを徴収する権利)を与えられた武士。
知行(ちぎょう)
幕府や藩が家臣に与える、領地から年貢などを徴収する制度。
俸禄(ほうろく)
藩が領地を管理して、家臣へ米を支給する制度。支給される米を俸禄米という。
代官(だいかん)
幕府直轄地の行政官で、民政・徴税・裁判などを担当する。勘定奉行支配で、おおむね5万石程度の幕領を支配する。
御家人(ごけにん)
1万石未満の将軍の直臣で、御目見得以下(将軍に拝謁できない)の者をいい、約1万6000人いた。
旗本(はたもと)
1万石未満の将軍の直臣で、御目見得以上(将軍に拝謁できる)の者をいい、約5000人いた。
幕府(ばくふ)
武家の政府で、もともとは近衛大将や征夷大将軍の居所を指したが、鎌倉幕府以来、征夷大将軍に任じられた武家が政治を行う場所やその政府のことをいった。