「斬り捨て」とは、単に人を斬ることをいうのではなく、斬ってトドメを刺さないことをいう。本来、武士が斬り合いをするとき、勝った方は相手にトドメを刺すのが作法だった。トドメを刺さないのは、臆病な武士だとみなされたのである。「斬り捨て御免」というのは、無礼な町人を斬り、そのまま立ち去ることをいう。この場合、トドメを刺さないから、斬られた町人は、治療されれば助かることもあった。江戸時代の武士は、無礼な町人を斬り捨てても、理由があれば罪に問われなかった。しかし、実際に町人を斬り捨てたりすれば、たいへんなことになる。たとえば、浅草で馬子(馬をひく運送業者)とトラブルになり斬り捨てた長州藩士は、町の者に捕らえられて町奉行所に引き渡された。その藩士は町奉行にいろいろと言い訳をしたが、町奉行の言葉は「その方は、人をあやめて、まだ生きたいのか」というものだった。ただし、町奉行の手で藩士の処罰を行うわけではなく、その藩士の処罰は藩にゆだねられた。その藩士の場合は、「切腹させるように」という意見とともに藩に引き渡されている。
武士(ぶし)
平安時代(794〜12世紀末)後期に生まれた、戦いを任務とする者。鎌倉時代以降、武士が政権を握ったため、支配階級として政治をも担当することになった。
町奉行所(まちぶぎょうしょ)
現代の東京都庁と警視庁に、下級裁判所の機能まで持たせたような役所で、北町奉行所と南町奉行所の2カ所であるが、元禄15年(1702)から享保4年(1719)までは中町奉行所もあった。
町奉行(まちぶぎょう)
町奉行所の長官で、寺社地と武家地を除く江戸の行政担当者。警察業務や司法業務を日常的に遂行し、消防や災害救助も行った。
藩(はん)
将軍から1万石以上の石高(こくだか)を与えられた大名が治める、それぞれの地域に設けられた政治機構。
切腹(せっぷく)
武家が罪を犯したときに命じられる刑罰だが、自ら責任を取って死んだことになり、家督相続などを認められることが多かった。