主君をもたない武士。本来は、「牢人」と書く。「牢籠(ろうろう)」とは領地や地位、俸禄などを失って落魄(らくはく)、すなわち落ちぶれることで、牢籠の立場にある者である牢籠人のことを牢人と呼ぶようになった。江戸時代では、牢人の「牢」の字が牢獄を連想させることから、浪人と書くようになった。江戸時代初期、幕府は、盛んに大名の改易を行ったため、主君を失った武士は浪人となった。別の大名に召し抱えられる者や、帰農する者もあったが、親類縁者を頼り、諸藩の江戸屋敷にもぐり込んだり、町屋に住んだりする者も多かった。浪人が増加すると、社会不安が高まるもので、慶安4年(1651)の由井正雪の乱(ゆいしょうせつのらん)は、浪人を主体とした反乱計画であった。幕府はこれを機に末期養子の禁令をゆるめるなど、大名の改易の減少に努める一方、江戸の浪人調査を強化した。17世紀後半には、生活苦にあえぐ浪人が、藩邸の門をたたき、仕官がかなわないなら門前で自害すると言い張り、生活費を稼ぐこともあった。小林正樹監督の映画『切腹』(原作・滝口康彦『異聞浪人記』)は、これを題材にしたものである。18世紀後半以降の浪人の中には、才覚があり、発明や物産の開発などを行った平賀源内、文筆で生活を支えた滝沢馬琴などのような文化人もいる。このころには、才能のある者は、下級の武士にとどまるより、暇を願ったり脱藩したりして、市井で生きた方が有利な時代になっていた。
武士(ぶし)
平安時代(794〜12世紀末)後期に生まれた、戦いを任務とする者。鎌倉時代以降、武士が政権を握ったため、支配階級として政治をも担当することになった。
俸禄(ほうろく)
藩が領地を管理して、家臣へ米を支給する制度。支給される米を俸禄米という。
幕府(ばくふ)
武家の政府で、もともとは近衛大将や征夷大将軍の居所を指したが、鎌倉幕府以来、征夷大将軍に任じられた武家が政治を行う場所やその政府のことをいった。
大名(だいみょう)
将軍の直臣のうち、1万石以上の知行(ちぎょう。幕府や藩が家臣に与える、領地から年貢などを徴収する権利)を与えられた武士。
改易(かいえき)
武士より上の身分にある者に科した刑罰で、領地を没収する。大藩の大名の場合、1万石ほどの堪忍料(生活費)が与えられた。
藩(はん)
将軍から1万石以上の石高(こくだか)を与えられた大名が治める、それぞれの地域に設けられた政治機構。
末期養子の禁令(まつごようしのきんれい)
跡継ぎのいない武家の当主が危篤となったとき、急ぎで養子をとること、すなわち末期養子をとることを禁じた令。大名の家が途絶える弊害があり、慶安4年(1651)に、50歳以下の武家当主に限って末期養子を認めることとなった。