路上で人を斬ること。江戸時代初期には、夜、武士が刀の切れ味を確かめるため、一般の民衆を斬る風習があった。3代将軍・家光の時代には、将軍になれなかった弟・駿河大納言忠長(するがだいなごんただなが)が、辻斬りを働いていたといううわさが流れている。この真偽はともかく、辻斬りが珍しいものではなかったことを物語っている。そのため、江戸の町々では、町の出口に木戸を設けて木戸番を置き、夜は木戸を閉じて治安維持にあたった。武家地では、大名が辻番所を設け、足軽を置いて警備した。小大名や旗本は、数家が共同して辻番所を設けた。町の木戸番や共同で設けられた辻番所に雇われる者には、老人や身体が不自由な者もいて、それほど強力な施設ではなかったが、町の治安の向上に一定の役割を果たした。幕末に日本に来た外国人は、これらを高く評価しており、明治政府も、これに代わるものとして、警察による交番を設けた。
武士(ぶし)
平安時代(794〜12世紀末)後期に生まれた、戦いを任務とする者。鎌倉時代以降、武士が政権を握ったため、支配階級として政治をも担当することになった。
将軍(しょうぐん)
幕府の主権者で、形式的には朝廷から任命される。正確には征夷大将軍で、大臣を兼ね、正二位に叙された。
大名(だいみょう)
将軍の直臣のうち、1万石以上の知行(ちぎょう。幕府や藩が家臣に与える、領地から年貢などを徴収する権利)を与えられた武士。
足軽(あしがる)
最下位に置かれた武士で、戦時においては、弓の者や鉄砲の者により、弓や鉄砲の部隊を編成した。
旗本(はたもと)
1万石未満の将軍の直臣で、御目見得以上(将軍に拝謁できる)の者をいい、約5000人いた。