江戸の古着問屋が集まる町で、現在の中央区日本橋富沢町にあたる。17世紀の半ばころには、富沢町に古着渡世の者が集まっており、元禄14年(1701)には富沢町の名主・彦左衛門が幕府から古着惣代(そうだい)の認可を受けた。天保3年(1832)刊の寺門静軒(てらかどせいけん)著『江戸繁昌記』には、富沢町の古着市でさまざまな古着が売買され、繁盛している様子が書かれている。最近の研究では、大手呉服問屋である三井越後屋が、売れ残り品を富沢町に卸していたことが指摘されており、市では新品も売られていたことを意味する。富沢町の古着市は、現在人気のアウトレット的な役割も果たしていたのである。呉服販売で有名な白木屋は、宝暦10年(1760)、富沢町の伊世屋の居宅と株式を買い取り、富沢町店を開店した。伊世屋は白木屋と取引のあった古着屋で、白木屋がアウトレットの直営店をもったことがわかる。富沢町では、たとえば大丸では4両以上もする帯地が3両2分で買えるなど、かなり割安だった。富沢町には呉服問屋もあり、幕末には周辺の町も含めて、呉服問屋や古着屋が集中していた。
幕府(ばくふ)
武家の政府で、もともとは近衛大将や征夷大将軍の居所を指したが、鎌倉幕府以来、征夷大将軍に任じられた武家が政治を行う場所やその政府のことをいった。