江戸時代は贈答社会であり、武家をはじめとして公家や上層の町人まで、さまざまな機会に贈答がなされた。贈られた品物のうち消費しない分は、これらを引き取る商人がいて、買い取ってくれた。これが献残屋である。江戸城周辺で営業する者が多かった。本来は余り物を引き取ったのだろうが、武家の贈答の中でも形式的なものについては、最初から実用を予定しないものもあった。たとえば、大名が将軍に対して行う太刀献上では、黒漆塗りの鞘(さや)に真鍮の金具を付けた木製の太刀を用い、これに太刀代と称して太刀購入相当の代金を付けた。このような太刀は他に使いようがなく、献残屋が引き取ることが前提になっていた。こうして、同じ太刀が何度も使い回された。江戸風俗の百科事典である『守貞謾稿(もりさだまんこう)』に献残屋が扱う品物としてあげられているのは、熨斗鮑(のしあわび)、干物、干貝、塩鳥、昆布、檜台(ひのきだい)、折櫃(おりびつ)、箱、樽(たる)などで、儀礼的な食品で長持ちするもの、および献上に使う台や箱である。このほか、葛粉、片栗粉、水餅、金海鼠(きんこ。ナマコの乾燥品)、干鮑、くるみ、唐墨(からすみ)、海鼠腸(このわた)、雲丹(うに)などの食品もあげられている。これらは、比較的消費しやすいものに思えるが、食べきれないほど贈られる者も多かったのである。
公家(くげ)
朝廷に仕える貴族や五位以上の官職にある官人。最高位の家柄は摂家。次いで、清華家(せいがけ)、大臣家(だいじんけ)などと続く。各大臣の下、文官で大納言、中納言、参議、武官で大将、中将、少将などの官職についた。
江戸城(えどじょう)
徳川家康が天正18年(1590)に江戸に入府した際に入った城郭で、将軍就任とともに本格的に建設に着手し、3代・家光のころまで断続的に工事を行った大城郭。
大名(だいみょう)
将軍の直臣のうち、1万石以上の知行(ちぎょう。幕府や藩が家臣に与える、領地から年貢などを徴収する権利)を与えられた武士。
将軍(しょうぐん)
幕府の主権者で、形式的には朝廷から任命される。正確には征夷大将軍で、大臣を兼ね、正二位に叙された。