江戸時代の書籍は、出版と小売が分離しておらず、本屋が出版と販売を兼ねていた。江戸時代初期の出版は、圧倒的に京都が中心で、元禄時代(1688~1704)のころまでは江戸の出版業界も京都の大書籍商によって牛耳られていた。18世紀に入ると、次第に江戸の書籍商が台頭し、京都の大書籍商と類版(類似の書籍)に関して争いながら出版活動を発展させる。18世紀半ばには、江戸、京都、大坂の三都において出版点数が急激に増加し、18世紀末には江戸の出版が上方を完全に上回るようになる。江戸時代の書籍商は、漢籍の注釈本や学術書などを出版する書物問屋と絵本や黄表紙などの類を出版する地本問屋の二つに分かれていた。「地本(じほん)」とは、上方から下った本ではなく、江戸で出版された本という意味で、江戸市民の文化的な独自性を主張する名称である。18世紀後半に活躍した地本問屋・蔦屋重三郎(つたやじゅうざぶろう)は、黄表紙や狂歌に進出し、ベストセラーを連発した。老中・松平定信の寛政の改革が始まると、秋田藩留守居役・平沢常富(ひらさわつねまさ)こと朋誠堂喜三二(ほうせいどうきさんじ)に勧めて、文武奨励を諷刺(ふうし)する『文武二道万石通(ぶんぶにどうまんごくとおし)』を書かせて人気を集めたが、定信によって弾圧された。しかし、その後も意欲は衰えず、滝沢馬琴(曲亭馬琴:きょくていばきん)や十返舎一九(じっぺんしゃいっく)などを流行作家に育てた。
黄表紙(きびょうし)
江戸時代の絵物語である「絵草紙(草双紙)」の一種だが、内容的に知的であり、文字通り黄色の表紙で他と差別化していた。
狂歌(きょうか)
五・七・五・七・七の音に風刺や皮肉、パロディを盛り込んだ、機知に富む短歌の一種。
老中(ろうじゅう)
通常、江戸幕府の政務を統轄する最高職で、若年寄の補佐を受け、日常政務を執行する。
留守居役(るすいやく)
諸藩の中級藩士で、江戸藩邸に常駐し、幕府や他藩との交渉を担当した。