籠(かご)に商品を入れ、道を売り歩く、店舗をもたない零細な商人。棒手振(ぼてふり)ともいう。万治2年(1659)正月、幕府は、これまで営業していた振売に許可証を与え、年1両の税を取ることを命じた。絹、小間物、木綿、麻、蚊帳(かや)、紙帳(しちょう)を売る者は、札を与えた者以外の参入を禁止し、編み笠、小刀、足袋、唐傘(からかさ)、真綿、絹糸、瀬戸物(せともの)、しゅろ帚(ぼうき)、南蛮菓子などを売る者は、その後も参入を認めた。注目すべきなのは、菜、たばこ、菓子、塩、飴、下駄、味噌、酢、醤油、灯心(行燈[あんどん]などの芯)などを売る者で、50歳以上か15歳以下の者、および身体に障害のある人しか売ってはいけないことになっていた。こうした商売を、社会的弱者のみに認めることによって、彼らの生活を助けようとしたのである。こうした規制は、その後行われなくなり、振売の商人は増加していった。『文政年間漫録(ぶんせいねんかんまんろく)』という随筆には、野菜売りの家計について書かれている。これによると、早朝、銭600~700文の元手で野菜を仕入れ、銭1貫200~300文の売り上げがあり、食費や住居費を除いて100文余から200文ほどの余裕がある、とされる。仕入れの金がない者には、100文につき1日当たり2~3文で貸す者もいた。身体が丈夫なら、十分に生活していけたと考えられる。
幕府(ばくふ)
武家の政府で、もともとは近衛大将や征夷大将軍の居所を指したが、鎌倉幕府以来、征夷大将軍に任じられた武家が政治を行う場所やその政府のことをいった。