諸国の関所を通行するときに必要な証明書。江戸時代の庶民が旅をするとき、まず居住する村の名主か、檀家として所属する檀那寺(だんなでら)に発行してもらう「往来手形」(「道中手形」ともいう)が必要だった。江戸の町人の場合は、町名主などの町役人が発行した。このほか、箱根(神奈川)、新居(あらい。静岡)、木曽福島(長野)、碓氷(うすい。群馬)といった、改め(検査)の厳しい関所を通るときは、別に関所手形が必要だった。これも名主や町役人が発行した。ただし、女性の場合は、特別な関所手形が必要で、これを「関所女手形(「御留守居証文」ともいう)」という。「入り鉄砲に出女」といって、幕府は江戸に武器が入ることと、女性が江戸を出ることを警戒していた。この「女性」とは大名妻子のことで、「出ることを警戒」していたというのは、彼らを人質として江戸屋敷に居住させていたためである。大名の妻や娘が庶民に扮装して、江戸を逃れて国元に帰ることは、江戸時代中期以降はほとんど考えられないことだが、こうした建前は厳守されていたのである。関所女手形は、江戸以北では幕府留守居、甲州筋では甲府在番支配、美濃は大垣藩主、摂津と河内は大坂町奉行、山城と西国筋は京都所司代というように、発行する権限のある者が限られていた。そのため、旅をしようとする女性は名主に願いを提出し、その後、名主~領主~幕府留守居というルートで手形を発行してもらう必要があった。なお、幕府留守居を諸藩の留守居役と勘違いしている人が多いが、幕府留守居は大奥の管理を担当する高級旗本である。大名の江戸屋敷の女中や藩士の家族が国元に帰るときは、諸藩の留守居から幕府の留守居へ願い出るので、混乱するのだろう。
関所(せきしょ)
交通の要所や国の境に設けられ、通行者や貨物の検査、監視を行った施設。二十数名の役人が常駐し、手形などを検査して通行の許可を判定したほか、関銭と呼ばれる通行料を徴収した。
関所女手形(せきしょおんなてがた)
江戸に預けられた大名の妻子が、国元へと逃亡することを防ぐために設けられた、女性だけに課せられた厳重な手形。出発地や目的という通常の手形に記載される内容だけでなく、身分や年齢、容姿など個人を特定する要素までが記載されていた。
幕府(ばくふ)
武家の政府で、もともとは近衛大将や征夷大将軍の居所を指したが、鎌倉幕府以来、征夷大将軍に任じられた武家が政治を行う場所やその政府のことをいった。
大名(だいみょう)
将軍の直臣のうち、1万石以上の知行(ちぎょう。幕府や藩が家臣に与える、領地から年貢などを徴収する権利)を与えられた武士。
幕府留守居(ばくふるすい)
将軍が城を留守にする際、これを守る役職であり、大奥役人の管理を担当する最高責任者でもあり、関所手形の管理なども担う。町奉行や勘定奉行などを務めたエリート旗本が、大目付を経て引退前に就く。
甲府在番支配(こうふざいばんしはい)
甲斐の甲府を管轄する勤番。江戸で不祥事を起こした武士が左遷される勤務地として有名。
大坂町奉行(おおさかまちぶぎょう)
大坂に置かれ、政務を行った遠国奉行(おんごくぶぎょう)。江戸の奉行所は「北町」と「南町」に分かれていたが、大坂では「東町」と「西町」となり、老中の支配下に置かれた。
京都所司代(きょうとしょしだい)
幕府の京都における出先機関の長官で、譜代大名が任じられた。朝廷を監視し、京都の民政・司法を担当し、西国支配の責任者でもある。
藩(はん)
将軍から1万石以上の石高(こくだか)を与えられた大名が治める、それぞれの地域に設けられた政治機構。
留守居役(るすいやく)
諸藩の中級藩士で、江戸藩邸に常駐し、幕府や他藩との交渉を担当した。
大奥(おおおく)
江戸城内にあった将軍の正室や側室の住居。
旗本(はたもと)
1万石未満の将軍の直臣で、御目見得以上(将軍に拝謁できる)の者をいい、約5000人いた。