東海道を通行して江戸に入るときの最大の関所。譜代大名の小田原藩が管理した。男性や江戸に向かう女性は、生国と名を名乗る程度で通行できたが、江戸から出る女性は、幕府留守居が発行する「関所女手形(御留守居証文)」がないと通行できなかった。そのため、手形のない者は、箱根の宿で金を払って、関所抜けを手引きしてもらうか、箱根関所を避けて別の道を行く方法がとられた。関所抜けは磔(はりつけ)の大罪だが、関所役人もそうした処罰をするのは面倒なので、抜けようとする者を見付けても「道を間違えたのだろう」と追い返したという。男性の場合は、江戸以北の者であっても、江戸の旅籠(はたご)で手形を書いてもらい、江戸の者として通行することもできた。相撲取などは体形でわかるので無手形でも通行でき、全国を歩く芸人などもその芸を見せれば通行できた。関所役人は暇なので、芸人が通るときには、「改め」と称して、半日近くも芸をさせて楽しむこともあった。
関所(せきしょ)
交通の要所や国の境に設けられ、通行者や貨物の検査、監視を行った施設。二十数名の役人が常駐し、手形などを検査して通行の許可を判定したほか、関銭と呼ばれる通行料を徴収した。
譜代大名(ふだいだいみょう)
関ヶ原の戦い以前から徳川家に仕えていた1万石以上の直臣。石高(こくだか)は、筆頭の井伊家が30万石だが、多くは10万石以下だった。
幕府留守居(ばくふるすい)
将軍が城を留守にする際、これを守る役職であり、大奥役人の管理を担当する最高責任者でもあり、関所手形の管理なども担う。町奉行や勘定奉行などを務めたエリート旗本が、大目付を経て引退前に就く。
関所女手形(せきしょおんなてがた)
江戸に預けられた大名の妻子が、国元へと逃亡することを防ぐために設けられた、女性だけに課せられた厳重な手形。出発地や目的という通常の手形に記載される内容だけでなく、身分や年齢、容姿など個人を特定する要素までが記載されていた。
関所抜け(せきしょぬけ)
関所手形を持たず、不法に関所を通過すること。関所破りともいう。重罪とされたが、江戸時代を通じて、関所抜けで処刑された者はほとんどいない。
磔(はりつけ)
死罪の一つで、罪人を柱に縛りつけ、槍で刺す。
旅籠(はたご)
宿場において、参勤交代の大名や勅使(ちょくし)、あるいは幕府役人などが宿泊した本陣、あるいはそれに準じる脇本陣以外の、食事付きの旅宿。