大井川は、南アルプスに発し、静岡県を流れる一級河川である。江戸時代には、江戸の防衛と、徳川家康の隠居城であった駿府城(すんぷじょう)の外堀の意味もあったことから、橋は掛けられず、渡し舟も禁止されていた。このため、大井川を渡るときは、川越人足を雇った。江戸時代前期には、わざと深い淵を渡って酒代をせびる悪質な人足もいたが、道中奉行が川会所を設置し、川越料金も一定にした。料金は水量によって差があり、股下だと48文、腰あたりだと68文、乳までだと78文、腕の付け根まで増水していると98文だった。女性や武士などだと、客を乗せるための輦台(れんだい)を使ったが、これは4人で担ぐので、人足4人分に、輦台のレンタル料が必要だった。水量が増えると、河川を渡ることを禁じる川留めとなった。その場合、旅行者は川をはさんでの宿場となる島田か金谷(かなや)の宿で逗留(とうりゅう)しなくてはならず、さらに経費がかかった。「箱根八里は馬でも越すが、越すに越されぬ大井川」とは、川留めの苦労を表現したあまりにも有名な言葉である。川越人足は、幕末期に島田と金谷あわせて1200人ほどいた。江戸時代には、宿場の衰微や失業を恐れる島田・金谷の宿場や川越人足の陳情のため、ついに橋が架けられなかった。橋が架かったのは明治9年(1876)のことで、失業した川越人足たちは金谷で広大な茶畑を経営し、静岡県名産の茶が誕生した。
武士(ぶし)
平安時代(794〜12世紀末)後期に生まれた、戦いを任務とする者。鎌倉時代以降、武士が政権を握ったため、支配階級として政治をも担当することになった。
宿場(しゅくば)
旅人が宿泊する施設が集まる場所。運輸・通信・休泊を任務とする公共施設であり、その業務を果たすための「問屋場(といやば)」が置かれた。