宿場の旅籠(はたご)で食事の給仕をする女性であるが、売春婦の役割も果たした。江戸時代、売春が公認されていたのは吉原などの遊廓だけだが、公用の人馬を提供する任務を帯びた宿場には、遊女を置くことも許されていた。万治2年(1659)、宿場に遊女を置くことが禁じられると、その代わりとして飯盛女が出現した。寛文2年(1662)、幕府は、飯盛女に華美な服装の着用を禁じ、木綿以下の質素なものを着用している場合は黙認する方針をとり、享保3年(1718)には、旅籠一軒につき2人の飯盛女を置くことを公許した。飯盛女は、旅人だけでなく、近くの住民や馬で人や荷を運ぶ馬方(うまかた)などの相手もしたので、実際にはそれ以上の女を置く旅籠が多く、大きな宿場だと遊廓街のような様相を呈するようになった。千住・板橋・品川・内藤新宿の江戸四宿(えどししゅく)は、数百~1000人以上もの飯盛女を置いており、ここでは「宿場女郎」と呼ばれた。
宿場(しゅくば)
旅人が宿泊する施設が集まる場所。運輸・通信・休泊を任務とする公共施設であり、その業務を果たすための「問屋場(といやば)」が置かれた。
旅籠(はたご)
宿場において、参勤交代の大名や勅使(ちょくし)、あるいは幕府役人などが宿泊した本陣、あるいはそれに準じる脇本陣以外の、食事付きの旅宿。
吉原(よしわら)
元和3年(1617)にできた幕府公認の遊郭で、日本橋葺屋町の一部に、家康の許可を得て開設された。明暦3年(1657)8月、浅草寺裏に移転。
幕府(ばくふ)
武家の政府で、もともとは近衛大将や征夷大将軍の居所を指したが、鎌倉幕府以来、征夷大将軍に任じられた武家が政治を行う場所やその政府のことをいった。