旅人が宿泊する施設が集まる場所。宿場そのものは古くからあったが、徳川家康は、東海道や中山道の各宿場に、領主が徴収する地代「地子(じし)」を免除する代わりに、公用の馬を使う者に発行される伝馬手形(てんまてがた)を持つ者に対して人馬を提供させた。宿場は次第に整備され、東海道五十三次などの宿場が成立した。宿場は、運輸・通信・休泊を任務とする公共施設でもあり、その業務を果たすための「問屋場(といやば)」が置かれた。幕府が設置させた公儀の継飛脚(つぎびきゃく)は、幕府役人の遠国赴任の際には、宿場の負担により低額の公定運賃で勤めた。一方で、公用人馬に余裕があるときは、相対で料金を決め請け負うことが許された。宿場には、宿泊施設として本陣や脇本陣、旅籠(はたご)が置かれた。一般の旅人も、旅籠に宿泊することができた。幕府は、宿駅制度を存続させるため、助成金を与えたり、飯盛女を置くことを許したりもした。
幕府(ばくふ)
武家の政府で、もともとは近衛大将や征夷大将軍の居所を指したが、鎌倉幕府以来、征夷大将軍に任じられた武家が政治を行う場所やその政府のことをいった。
旅籠(はたご)
宿場において、参勤交代の大名や勅使(ちょくし)、あるいは幕府役人などが宿泊した本陣、あるいはそれに準じる脇本陣以外の、食事付きの旅宿。
飯盛女(めしもりおんな)
宿場の旅籠(はたご)で食事の給仕をする女性であるが、売春婦の役割も果たした。