旅籠(はたご)は、経営を考えると飯盛女を置く飯盛旅籠の方が有利だったから、多くが飯盛旅籠となり、まっとうで当たり障りのない平旅籠が少なくなっていった。旅人の中には、飯盛女に煩わされず旅がしたいという者もおり、優良な平旅籠への要望が高まった。そこで、神仏を深く崇拝し、寺社参詣の代参者を多く出す各種の「講」では、良心的な旅籠屋を「定宿(じょうやど)」に指定するようになった。いわば協定旅館である。19世紀初頭に成立した浪花講(なにわこう)は、大坂と江戸の町人が講元となったもので、一人旅でも安心して宿泊できる旅籠を定宿と指定する講であった。利用者は、浪花講の定宿帳を購入し、それに掲載されている旅籠を選んで宿泊した。もし、飯盛女を勧めたり、粗略な扱いをして苦情があった場合は、講から除外するなどの措置もとった。その後、三都講、東講(あずまこう)など、いくつかの講が成立し、旅人の便宜をはかった。旅籠の方も、宿泊者確保のため、こうした講の定宿となることに努めた。
旅籠(はたご)
宿場において、参勤交代の大名や勅使(ちょくし)、あるいは幕府役人などが宿泊した本陣、あるいはそれに準じる脇本陣以外の、食事付きの旅宿。
飯盛女(めしもりおんな)
宿場の旅籠(はたご)で食事の給仕をする女性であるが、売春婦の役割も果たした。