三重県・伊勢にある伊勢神宮に参拝する「お伊勢参り」は、江戸時代の庶民のあこがれだった。17世紀初頭でも、年間数十万人がお伊勢参りをしたと推定されている。それを全国に広めたのが、伊勢の御師と呼ばれる神職である。熊野神社や富士浅間神社などにも御師はいたが、これは「オシ」と発音し、伊勢だけは「オンシ」と発音する。江戸から伊勢までの往復は24日ほどだから、宿泊費と小遣いが1日400文として、1両2分ほどで済む。しかし、御師を頼まないと、神宮参拝すらままならない。御師を頼めば、神楽奉納の初穂料や祝儀など、1グループで数十両もの出費となる。このため、伊勢講を組織し、積み立てをしてお伊勢参りをした。クジをして当たった何人かが代表して行く代参(だいさん)も、盛んだった。この方式を指導したのも御師である。伊勢に行くと、御師の案内で外宮、内宮に参拝し、御師の大邸宅で神楽などをあげてもらい、豪勢な料理を饗(きょう)される。神宮参拝の後は、古市の遊廓に泊まり、遊女たちの踊りを楽しんだり、朝熊山(あさまやま)に登って金剛証寺(こんごうしょうじ)を参拝したり、二見浦(ふたみがうら)を回った。一生に一度あるかないかの大旅行であったため、伊勢での金遣いは、かなり荒いものとなった。御師の方でも、駕籠(かご)を出して案内したり、お札や多くの土産物を持たせたりするなど、お伊勢参りを満足させるさまざまなサービスの提供をした。
駕籠(かご)
上部に棒を通した箱状の乗り物で、2人以上の担ぎ手が棒を担いで運搬する。竹を編んで作った乗り台を畳表状の覆いでかこった四手駕籠(よつでかご)が仕様の中心。