江戸時代の庶民は、自分が住む村や町にある寺の「宗門人別改帳(しゅうもんにんべつあらためちょう)」、すなわち「人別帳」に登録されていたので、これが戸籍の代わりとなった。故郷の村を出て行方不明となると、人別帳から外された。これが「無宿(むしゅく)」である。「渡世」という言葉は、江戸時代では「生活」の意味である。「渡世人」は通常の商売などに従事しないで生活を送る者ということで、「無宿渡世人」は各地の博徒の親分のもとを渡り歩き、博打をしたり小遣い銭をもらったりして生活した博徒を指すが、実は、こうした使い方は江戸時代にはなかった。博徒は多くが無宿であり、「無宿」は誇るべきことでもなかったから、わざわざ自分から「無宿渡世人」ということもなかったのである。江戸時代後期、北関東の農村は養蚕(ようさん)が盛んになったことによって、階層分化が進み、田畑を捨て無宿となり博徒となった者は少なくなかった。こうした者をモデルに書かれた笹沢左保(ささざわさほ)著『木枯し紋次郎』は、中村敦夫主演でテレビ化され、無宿渡世人のイメージを一般化させる大ヒット作となった。上州新田郡三日月村の貧しい農家に生まれた紋次郎は、10歳のときに家を捨てて、故郷の村を出、諸国を回る侠客である。農民の出であるから、「二本差し」ではなく、脇差(わきざし)の長いものをもつ。これが長脇差(ながどす)である。他人とのかかわりを極力避け、己の腕一本で生きようとする紋次郎のニヒルなスタイルは魅力的だが、実際には、博徒の親分に寄宿しないと生きていくことは困難だったであろう。
博徒(ばくと)
博打を打つことを生業とする者。ネットワークをたどって一宿一飯の恩義を受けながら廻国し、信頼すべき親分のもとで、子分となる。
侠客(きょうかく)
任侠、すなわち弱きを助け強きをくじくことを信条として生きる者。