ともに、路上で品物を売る露店商人。売る商品、すなわち「ネタ」は、特別な仕入れ先があり、路上で売るときには見せ物を興行したり、独特の口調で口上を述べ、言葉巧みに売っていた。いわば、映画『男はつらいよ』の「フーテンの寅(とら)」こと車寅次郎(くるまとらじろう)のような存在である。テキヤは、本来、「香具師(やし)」という。「やし」と読むことから、「野師」「野士」とも書く。野武士が飢渇をしのぐために売薬したのが始まりだとされる。一説には、売薬行商の元祖「弥四郎」の名からきたともいう。薬の代表的なものは、蝦蟇の油(がまのあぶら)や歯磨きなどである。歯磨き売りには、歯磨きを売るだけではなく、抜歯や入れ歯などの治療をする者もあった。「やし」が「香具師」と表記されるのは、これらの露店商人が扱う商品が「香具(こうぐ)」と呼ばれていたからである。香具には、小間物、薬、紅や白粉(おしろい)、たばこなどの商品のほか、見せ物の興行、傀儡師(くぐつし。人形遣い)や読物師などの芸能者、辻医者などもふくまれる。テキヤは江戸時代以前から存在したが、18世紀初頭、全国の祭礼を渡り歩く露店商人が増え、大岡忠相が寺社奉行だった寛延2年(1749)、寺社奉行支配にされたとされる。テキヤが、系統ごとに一家を名乗り、「侠商(きょうしょう)」という意識をもつようになるのは、明治中期以後である。商品を売るための技能を身に付け、また仕入れを確保するためには、テキヤの親分のもとに入る必要があった。また、親分の方でも、個々のテキヤを統制する戒律(かいりつ)を強制し、博徒などの干渉を排除するために、私設警察的なものが必要だった。このため、テキヤの組織は博徒の組織と似たようなものとなり、博徒の親分と兄弟分の盃をかわす者も出た。ただし、テキヤは、基本的に合法的露店営業以外には手を出さず、博徒とは違う存在であった。
寺社奉行(じしゃぶぎょう)
全国の宗教統制や寺社領の管理などを行う役職で、奏者番(武家に関する儀式や典礼を務める要職)の上位者が兼任する。
博徒(ばくと)
博打を打つことを生業とする者。ネットワークをたどって一宿一飯の恩義を受けながら廻国し、信頼すべき親分のもとで、子分となる。