江戸時代の表着で一般的なものは、小袖である。小袖は、袖口を小さく縫い詰めたもので、古くは上流階級の肌着として用いられたが、室町時代(1336~1573)から表着として普及していった。江戸時代初期には、大柄で派手な文様が好まれたが、元禄期(1688~1704)に「友禅染(ゆうぜんぞめ)」の染色技法が発案され、繊細で、かつ絵画的表現へと傾斜していく。このころには、有名な画家に小袖の絵を描かせることが、裕福な町人や遊女に流行した。一方、武家では友禅染はあまり用いられず、伝統を墨守する傾向が強かった。小袖とともに帯が発達していくにつれ、豪華な帯に分断された小袖の文様は脇役となる。小袖の模様は裾(すそ)の方に後退していき、表は無地や縞(しま)柄とし、裏だけに文様を施すものも登場した。明和・安永(1764~81)のころ、女性の小袖の裏模様が流行したが、見えない場所の装飾に凝る趣向は、「粋(いき)」の美意識の表れでもあった。